


わたしは幼少期から体が弱くて、乗り物が苦手でした。
たとえば電車や飛行機といった乗りものや、遊園地の乗り物。
子どもならある程度は興味があったりするのに、私の場合は無意識なのか、あるいは本能的なのか避けていました。
京都よりの大阪で育った私が、ひらかたパークことひらパーではなく、今は無き「近鉄あやめ池遊園地」に連れていってもらったときの出来事だった。
当時5歳だった私はミラーハウスが好きで、初めての遊園地でそれらしきアトラクションを見つけて母と一緒に順番を待っていた。入場口が近くなり中の様子がチラッと見えた時、その先には楽しいミラーハウスではなく、暗闇の空間が広がっていた。
とっさに嫌な予感がして「やっぱり乗らない」と言ったけど、時すでに遅し。よくわからない円盤のような乗り物に十数人と一緒に乗せられ、添乗員にシートベルトを着用された時に、字のごとく背筋が凍りつき血の気が引いた。
「やめて!」「とめて!」を何度叫んだだろう
暗闇の中で四方八方に回転し続ける、いわば苦行に涙が出る余裕もなく、とにかくこの恐ろしい時間が一体いつまで続くのか。ほんの数分の時間が、幼い頃の私にとっては悪夢のような長く恐ろしい時間だった。
自分がこれまでに出したことも聞いたことのない金切り声が響き渡り、その苦行が終わった後に様子がおかしい我が子を見て、普段は温厚な父が同行した母に「何で嫌がっているのに無理に乗せたんだ!?」と怒鳴ったらしい。
この、よく分からない不思議な乗り物を例えるなら、バブル期に一世を風靡した(多分してない)びっくりハウスだ。
マジックハウスとも呼ばれるこの恐ろしい館は、狭い室内の床や壁や天井が回転する仕掛けで、その錯覚に平衡感覚を失い何とも言えない不快感に襲われる。



当時住んでいた大阪から、父の実家がある長崎までは飛行機という選択肢が第一候補で、酷く酔ってしまった私を見かねて、次は自家用車とフェリーを利用するも、船に乗車する前に車酔いでリバースするという始末…。
ならば電車はどうかと寝台列車に乗車するも、横になると気持ちが悪くなるので、うつらうつらしながらも座って窓の外を眺めていた記憶がある。
一番辛かったのは、バスで長時間移動する修学旅行だった
「友達の前で酔って吐いてしまったらどうしよう!」というプレッシャーもあって、もはや生き地獄だった。梅干しを食べたらいいとか、手首や首の後ろを指圧すると酔わないと聞いて、跡が残るほど押しまくったが効くはずもない。
唯一のお守りが、乗り物酔い止めの薬だった。
エスエス製薬のアネロンに、私はどれだけ救われただろう。錠剤タイプは溶けない可能性があるため、瓶に入った液体タイプ2本入りを大人になってからも30年以上飲み続けた。
上京後、最初に驚いたのは人の多さ。
街も電車も、地方とは比較にならないほどに人の密度が高く、通勤ラッシュの時間帯ともなれば満員で乗車できず次の電車を待つことも珍しくない。
はじめての焦燥感は、卒業旅行を計画していた時のこと
就職する前に海外に行っておきたいと思い、旅行先はベタにハワイを選んだ。
これまでに90分のフライトしか経験したことがないので、8時間という長時間に果たして耐えられるのだろうか。
出発の日が近づくにつれて恐怖感と焦燥感に襲われ、悩んだ挙句に向かった先は近所のメンタルクリニック。
そこで今の不安を医師に伝えると、






そう言いかけて、後に続く言葉が出なかった。単に乗り物酔いからくる不安だと思っていたのに…。
結局その日は、ハルシオンとマイスリーの睡眠薬を処方してもらい、飛行機に搭乗する前に両方を試して効果のあった方を服用するという、その場しのぎの処置で終わった。
8時間のフライト中は、ほとんど記憶がない。
当時は東中野や高円寺に住んでいたので、混雑している中央線の快速電車を避けて、並走している総武線の普通電車を利用していた。
でもある時、山手線に乗車した際に「線路内に人が立ち入った」とのアナウンスで緊急停止したり、東京メトロ半蔵門線で人身事故が発生して電車が停まってしまった時、急な動悸と息苦しさに襲われ、「この電車はいつ動き出すんだろう!?」と、もはや発狂寸前で気が気ではなかった。
停車中の数分の時間が、まるで生き地獄のような長い時間に感じる
そして無事に動き出した後は、安堵とともに心も体もクタクタになり、おなかを壊したり仕事ができないほど疲弊してしまうので、「これはマズイ」と思い、徒歩で通勤ができる中野へ引っ越した。
電車通勤でなくなったので、その後しばらくは人身事故に遭遇することもなく発作に見舞われることもなく、結婚するタイミングで家を購入して、主人の実家にも近い町田へ引っ越した。



引越しと同時期に転職し、自宅の最寄り駅である鶴川から勤め先の東京駅までは、小田急線と中央線を乗り継いで片道1時間ほど。都心に住んでいた頃はこれほど頻繁に長時間電車に乗る機会がなかったので、乗車の度にソワソワしては落ち着かなかった。
だから当時はiPodで好きな音楽を聴いたり、ニンテンドーDSで『おいでよ どうぶつの森』をゆるゆるプレイしたり、PSPで『モンスターハンターポータブル 2nd G』でクエストに挑み、好きなゲームに集中したりして何とか気を紛らわしていた。
でもある時、停車するはずの駅を通過した時に悲劇は起こった
新宿を出発し、下北沢を発車したその時。
「次の停車駅は、新百合ケ丘になります。」のアナウンスに、一瞬耳を疑った。



急行に乗車したつもりが、誤って快速急行に乗ってしまったらしく、当時は登戸を通過して新百合ケ丘までまさかのノンストップ!
東京都世田谷区にある下北沢駅から、神奈川県川崎市の新百合ケ丘駅までは15駅もあり、距離にして20km以上。15分はかかる。つまり15分間は何があっても電車が停まることもなければ、扉が開くこともない。
「私はいま、電車という狭い移動体に完全に閉じ込められてしまった!」
その恐ろしい現実が私に襲いかかった。
混乱を通り越して、もはや錯乱状態
すごい汗と同時に首や手先が痺れるような気持ち悪い感覚の中、乗客をかき分けてよろめきながら進行方向へと歩き出した。
その時は正気ではなかったので、運転手さんに助けを求めようとしたのかもしれない。冷静に考えれば、車掌さんのいる後方車両の方がまだマシな選択だったかもしれないが、いずれにしても電車を止めてくれるはずもない。
完全にパニック状態で、周囲の人からは変な目で見られていたかもしれない。公共の乗り物で一番のプレッシャーは、他人の目だ。そしてこの日は、密度が高い上に快速急行という最悪の条件が重なった。
15分間じっとしていると、頭がおかしくなるのを通り越して死んでしまいそうだったので、挙動不審な様子で車内を徘徊していた。ようやく停車駅に到着し下車した瞬間、ホームにへたり込んだ。
その日以来、急行電車には一切乗車できなくなってしまい、翌日から各駅停車で片道2時間近くかけて通勤することになった。そしてようやく、決心がつきました。



ということで、次回のコラムは…
パニック障害の病院で試みた、あらゆる治療法とは?
をについて、詳しく書きたいと思います!
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